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止まらない海保の暴力

私は先週の1月16日、いつものように仲間たちと松田ぬ浜から辺野古崎に向けてカヌーを漕ぎ出しました。この日は土曜日でもあったため19艇のカヌーが海に繰り出し、久しぶりに賑やかな雰囲気に包まれていました。この日は長島に近いスパット台船と緑のクレーン付き台船の上に作業員が乗っており、私たちは未だ終わらないボーリング調査を止めさせるようと、午前と午後の二回にわたりフロートを越えて抗議活動を展開しました。

午後3時過ぎ、私たちはフロートを越えてうち4艇がスパット台船に接近。私もその中にいました。私が台船に近づくと、マリンセキュリティのゴムボートがまるで海保の真似をするように私の進路を妨害します。私は退きなさいと叫びながら、台船の裏側に回り込みました。そしてオイルフェンスに近付くと海に飛び込み、そこにしがみつきました。オイルフェンスにしがみつきながら、私は台船の上を見上げて作業を止めるよう作業員に呼びかけました。

その後です。しがみついていた私の両腕が背後から後ろ手に回され、ねじり上げられました。

私はおもわず痛いからやめろと叫びました。さらに私のライフジャケットに手が掛かり、背後から強引に海保のゴムボートに引きずり上げられました。ライフジャケットが私の首に掛かり私は苦しいからやめろと再び叫びました。

海保のゴムボートに上げられてからは、私の気持ちは肩や首の痛みより、むしろ他の仲間たちの動向に気が向かっていました。そのため海保職員に特別な抗議もしませんでした。そして何事もなかったかのように私たちは松田ぬ浜に戻され、解放されました。

その夜です。風呂から上がって食事をしようとすると、右の肩や背骨が痛みが走りました。腕を後ろにねじり上げられた時の痛みがよみがえりました。しかし、それでも私はこの痛みも数日もすれば直るだろう、とたかをくくっていました。日曜日を挟んで、月曜日は強風のために海上での抗議活動は中止。そして火曜日の朝、私は再び松田ぬ浜に出ました。

しかしこの日、私の身体がカヌーを漕げる状態でないことを初めて知らされました。カヌーを漕ぐと背骨に激痛が走るのです。これはヤバイと思い、私は急いで浜に上がり、病院に急行しました。CT検査の結果、診断は第8頸椎棘突起骨折。6週間の療養を要するというものでした。ショックでした。医者からはなんで直ぐに救急車で来なかったのかと言われました。でも私自身がそんな重症だったとは想像だにしていませんでした。

無論、海保への悔しい思いはあります。しかし、いまの私にはそれよりこれからしばらくは海に出られないことの方が悔しい。他のカヌーメンバーと同様に、私も辺野古に新たに基地を造らせない、大浦湾に土砂やコンクリートを流し込む光景は決して見たくないという思いで毎日海で出ている。たとえ赤子の手をひねるように腕を捻じ上げられ損傷を負わされても、私のその思いは揺るぎようがない。

私の思いはただ一つ。早く仲間と一緒に海に出たい。そして工事を止めたい。それのみです。

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