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11月15日辺野古ゲート前、あるカヌーメンバーの記録

 いつもはカヌーを漕いでいますが、この日はゲート前にも行ったのでその時のことを書いてみました。だいぶ日にちが経ってしまいましたが、お読みください。

 2015年夏、国会前の集会で〈民主主義って、何だ!これだ!!〉というスローガンが流行した。2015年11月18日〈水)名護市、キャンプシュワブゲート前の座り込み集会で、〈芸術って何だ!?〉の一つの回答実例が出現した。私は、天の幸運によって、その座り込みに参加していた一人であった。

 「芸術は、爆発だ!」と岡本太郎が叫んだのは、今から50年も前のことだ。岡本太郎が糾弾したかったのは、鑑賞する芸術に満足する人々とその世界であった。

 17世紀以降成立した近代資本主義の担い手たち=ブルジョワたちに奉仕する芸術と、その製作者への批判が、彼の1番言いたかった内容だと思う。絵画・彫刻等の美術作品が投機の対象となり、「美しさ」が商品価値となり値段がつけられる。それを所有する人は限られ、それを鑑賞し、その〈美しさ〉に満足し、自己の所有物への満足感に酔う状況、そして一般のわれわれは、それへのあこがれを植えつけられ「芸術って高級なもので、われわれ一般人にはわからないものなんだ」という思い込みの幻想に支配される。それに対する全面否定、「そうじゃない!芸術の真実は、自己の内からの爆発するエネルギーなんだ!」と岡本太郎は言いたかったのだと思う。

1、 序章  午前6時30分~7時

 工事車両進入ゲートに、あふれるほどの市民、大衆が集まった。ギシギシに詰めて足を折りたたんで、みんなが座った。とても座りきれず、道路にはみ出し、行き場に迷い始めた人々が出始めようとしていた。〈指揮者〉の登場である。

 全体の配置、個々の位置を指示し、工事車両進入道路両側へ人々を誘導し、新ゲート前からぞくぞく終結する人々に、機動隊の通常の行動パターンを説明し、その対策を笑い飛ばしながら話している。指揮者の笑顔は、緊張している参加者に余裕を与える。進入ゲート前に座り込んだ私たちは緊迫していた。通常6時45分前後に機動隊が姿を現し、一人ひとりごぼう抜きの暴力で、襲い掛かってくるからだ。抵抗する私たちの筋肉は、こわばり堅くなった状態が緩む夕方ごろに擦り傷や、打撲の跡にやっと気づく、そんな早朝行動だからだ。   

しかしこの、あふれかえる人々をどうやって機動隊が、ごぼう抜きできるのか。そしてどこにこれだけ多くの人々を、閉じ込めておけるのか。これほど多く集まった私たちは、機動隊とどのように対峙できるのか・・・次々と沸き起こる私(たち)の疑問に指揮者は簡潔に答えた。

「・・・・私たちは、非暴力・不服従が基本です。我々から、一人のケガ人も、逮捕者も出させません。しかし、同時に機動隊の横暴も一切許しません。我々は整然と、断固と権力と闘っていきましょう!」

 この一声は、わたしに、ふとある音楽の出だしを思い出させた。あの、有名な、ベートーベンの第9の一楽章の出だしだ。不定形なカオスから、何かが誕生する直前の音楽だ・・・

2、 勝利の予感  午前7時~7時30分

 定刻(6時45分)を過ぎても機動隊が出てこない!なぜだ!?私たちの指揮者(山城ヒロジ)は、今日の行動を明確に位置づけ私たち参加者にその意義と方向性を明らかにする。

「・・・・・今日はここに座り込みを始めて500日目の日です。はじめ、100人集まるかな、と始めて、今、1000名の人々が、ここに集結しています。(最終的には1200名)・・・・安保法案を安倍が無茶苦茶な方法で国会を通した後、日本を戦争のする国に変える具体化はココ、辺野古に基地を作ることに全勢力を注いでいる。日本の、死に絶えようとする民主主義が復活する地は、ココにしかない。沖縄のことは、沖縄が決める。自分たちのことは自分たちが決める。これが民主主義の基本だ。日本全国の人々が、我々の、この辺野古の運動、座り込みを、自分たちの民主主義が生き残れるかどうか、見つめている。我々は、未来の希望の灯りなのだ。・・・・・機動隊に、我々を拘束することはできない。続々と増え続ける我々の姿に、対処する方法・術がなく、オロオロしている。人がココに、集まれば工事はとめられる。この真実を、今日、実証する日だ。・・・・・・」

 座り込んでいる私たちの共通の思いが、明確な〈政治意志〉に転化し始めていくのを、私たちの内部で実感できた。私たちに不安や恐怖は少しもなかった。暖かい友情と力強い勇気に包まれた気がした。強い確信に満ちた気配が一帯を支配した。機動隊は出てこられないのだ。確かにそう思えた。今日は、工事車両が、入れない。工事をとめたんだ!私たちは、安倍に、1日、確かに勝利したんだ!私(たち)に喜びが少しづつ湧いてきた。

 しかし、まだ、一抹の不安もあった。今からでも、突然機動隊が出てきて、この大勢の人々にぶつかってくるかも・・・・

3、勝利の爆発  7時30分~8時30分

 『・・・友達1000人できるかな?!・・・・・・おにぎり食べたいな。・・・』

 歌だ!喜びの歌だ!!ベートーベンの第9、4楽章が大合唱で終わるように、この集会もすばらしい歌の連続であった。独唱もあり、合唱もあり、踊りもあり、これらはすべて、私たちの指揮者の巧みな気配りと、絶妙なタイミングで進行した。登場する歌い手、踊り手たちへのユーモアを交えた紹介に、いっそう全体が活気づいた。

 ここで、奇跡が起きた。歌い手たちが歌う言葉が、まったく違って聞こえてきた。まことに、まことに、残念なのだが、今、あの時歌われた歌詞を正確に思い出せない。心が躍り、ウキウキするような歌であったが、私(たち)の耳を通して心に響いてきた音と、その歌詞の元来の意味が、違っていた。

 一つ一つの単語の意味が消えて、歌声全体の響きが私たちを捉え、一つにして、歓喜の爆発に導いていった。これは、芸術的感動そのものでないのか!?ある者は歌い、ある者は踊り、ある者は座りながら身体を揺らし、全体としてそこにいたすべての参加者がひとつの〈表現〉を形作っているのではないのか。

 このとき、私は心の中で神に感謝した。このような地に私を偶然に居合わせてくれたことを。このような、多くの人々と感動を共有できる体験を与えてくれたことを。

 4、 終章  8時30分~9時30分

 午前9時、現在の参加者が1000名を超え、1200名に達したことが報告され、全体で大きな拍手とともに確認された。基地内で待機する機動隊に変な動きがあり、警戒を、という声が挙がったが、機動隊、何するものぞ!の雰囲気が私たちにゆとりを与えていた。

 私たちの指揮者〈山城ヒロジ〉が、喜びを身体全体で表しながら、私たちに提案した。

『私たちはずっと夢見てきた。ここへ、1000名を超える人々が結集し、基地工事を阻止することを。ついに、今日、その日が実現した。見たか!東京警視庁機動隊!県民の力がわかったか!安倍!!沖縄を差別し、県民を踏みにじる政府の非道の行いに対して、私たちの平和を求め生きる権利を守る闘いは、決して負けることはない!歴史の真実と正義が我々にあることを!!-みなさん!今日のこの日を記念して、1000名のラインダンスをやろう!全員、立って、肩を組んでください!!!・・・・・』

 平均年齢60歳を超えた人々が、ゆっくり立ち上がり、歌に合わせて、踊りだしたことをここに記しておこうと思う。多分、このような提案を、普段なら受け入れるはずのない人々が子どものように、照れながら、うれしそうに踊り始めたことを。私も加わりながら恥ずかしくもあり、喜びも湧き、うれしい興奮に酔っていた。私は、この非日常的瞬間がわずかしか続かないことを知りながら、それを惜しみ、しかし次への闘いへの心の準備をし始めていた。誰とも知らないが、この瞬間をともに共有した人々と再び出会い、このように運動のスクラムを共にすることを、期待(希望)して、終えた。

 いま・・・・・・

 私は、芸術とは何か、についての専門的知識を持たないが、芸術は、人に生きる感動を与え、未来への勇気を心の内に湧き起こすものだ、と考える。私はそのような観点に立って、この日の出来事全体が、ひとつの芸術作品である、と確信する。

 すばらしい映画や演劇を観て、感動で涙するのと同じ、それ以上の感動がこの日にあった。コンサート会場ですばらしい音楽に酔い、自分の日常的感性が切り開かれ、未来への希望を直感するのと同じ、それ以上の、勇気と未来への飛躍の可能性を直感した。美術館で、古典的芸術作品から人間の知性と歴史に生きる人間の美意識と同じ、それ以上の、差別され抑圧されてきた沖縄の歴史の中で育ち、生まれてきた知性と美意識をこの日、私たちは目撃し、さらにそれに加わることができたのだから。これは、現代芸術そのものでないのか。製作者と鑑賞者が別々にあったこれまでの芸術から、自らが主体となって作り出す芸術の可能性が、現代芸術の状況的な、時代的特徴なのでないだろうか。

 あの日のことを今、振り返りながら、あの日経験した私の意識が、たしかにそれまでの私の意識と変容しているのがわかる。私の世界に対する見方が、少し変わったようだ。前の私より、もう少し勇気を持って、未来へ明るい希望を持って、闘いのスクラムに加わっていけるようだ。

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